ヒーロー達の物語
HISTORY OF HEROES

社内の対立で夢を見失うも、
学びで明るい未来へ

株式会社メディアラボ

新規事業部 部長 渡口 聡則

渡口聡則氏は、大学院修了後、新社長が語る大きな夢に惹かれてメディア・ラボさんに入社されました。
しかし、先代社長から新社長への過渡期に入社されたこともあり、社内での対立が激しく、入社当初に抱いた夢を失い疲弊する毎日に飲み込まれてしまわれました。
しかし、学びによって意識が変わられたことで心が軽くなり、今では「輝く未来しか見えない」とおっしゃられています。どのようなことがあり、またどのようにして乗り切られたのでしょうか。

社長に魅かれて入社するも、衝撃的な社長と幹部層との対立

私が中学生の時、ちょうどWindowsが広まってきたのですが、その頃から、とにかくWebの世界が大好きでした。そのため、沖縄の高校卒業後、東京の大学に進学し、大学院では研究漬けの毎日を送りました。

国内外の発表をしながら論文執筆に勤しみながらに就職活動を行っていたこともあり、メディアラボに対しては特に下調べもせずに時間が空いたから。という失礼な気持ちで入社試験を受けたことを覚えています。最終面接で社長が夢やビジョンを熱く語られ、それに魅かれてメディアラボへの入社を決めました。
「ここだったら、私が今まで学んできた技術を生かして何か面白そうなこと、新しいことができるのではないか」と思ったからです。

入社後、仕事自体はとても楽しく、大学院時代の延長みたいな感じでしたので、「これでお給料をいただいていいんですか」というふうに思ったほどです。
マニュアルとか手順とかが全くない状況でしたので、自分で自由に作ったり、現場に一人で行ってお客様に説明したりさせてもらえました。形を作れる自由さとそれが表現できる場所があったので、仕事自体はすごく楽しく、充実していました。

ところが、会社内では、社長と幹部の方たちとの言い合いが激しく、社長対幹部層という構図が新卒ながらも見えて、「ちょっと失敗したかもしれない…」と正直なところ思いました。

ビジョンを語る社長がいて、それに共感する幹部層がいて、その下に幹部を尊敬する社員がいて会社が成り立つというピュアなイメージで入って来たのに、社長と幹部が常に衝突する、というまさかの状況を目の当たりにして、衝撃を感じました。社長の方が“外から来た人”という感覚です。

例えば、社長が新しいことをやろうと言ったら、幹部が一丸となって反発するのです。
これまでは、大手メーカーさんの受託開発を請け負ったり、大きな病院のシステム開発を一対一で行ったりという、ある程度決まった形で仕事が進んでいく業務が中心でした。それに対して社長は、一般企業向けにオーダーメイドでシステム開発をしていくという方向性を示したのですが、幹部たちから猛反発。

幹部たちはプロフェッショナルなので、すごく専門的に仕事を進めて行くのですが、そのやり方から脱却しようとしない。この姿勢に私は疑問を抱きました。新たなことに挑戦しないと企業は発展していかない、と思っていたからです。ただその一方で、私自身も専門畑でずっと学んできたこともあってこうした旧来の技術を守っていく事の大切さと難しさも知っておりました。自分の中でも明確に答えを出せずに迷っていたことも覚えています。

社長に反発する会社。そのことに困惑しながらも、仕事自体は楽しいので続ける、という1年目、2年目でした。

私にとって社員が仲間から敵に

自由に仕事ができる幅がある会社だなと思い、また、自分にも自信が出てきて会社に貢献していこうと思っていた3年目。そこで初めて気づいたのは、“自由”なのではなく“無関心”ということでした。私は深い闇に入りこみました。

それまではだれかの下についてシステム開発をしていたのですが、3年目になると、一人で仕事を回したり、上に立って行う機会が増えました。また、社長がやりたいとおっしゃられていた一般企業向けのシステム開発を先導してやっていかなければならない立場にもなりました。実際にやってみると、システム開発というのはトラブルがつきものなので、トラブルの案件が多々出てきました。システム開発というのは、失敗するとどこまでも天井になっていきます。

そこで、私は「このままトラブルが長期化するとよくないので、みんなで打開策を考えていただきたい」と提案しました、そしたら、幹部をはじめ、社員全員がそっぽを向いてしまったのです。状況を説明しても、「それは君が責任をもって最後までやるべきだ」と。唖然とするとともに、急に孤立して覚えのない責任が全て伸し掛かってきたうな感覚になり、一緒にチャレンジをしていく仲間であるはずの社員が敵に見えました。

そのような状況の中、「とにかく何とかしなければならない」と私は必死でした。3日間続けて徹夜ということも何度もありました。かなりきつかったですね。

普通は会社を辞めた方が正しいと思うんですが、社長がいろいろなビジョンを語られ私もそれに共感し、実際、手の届きそうなポジションがあった中で、他の会社に行くのは逃げなんじゃないかと思い、踏みとどまりました。
何かに執着してたのか、何かまだ期待をしてたのか、よく分かりませんが、とにかく離れられなかったのです。

トラブルをおそれ、私はだんだん姿勢を強固していきました。「責任をきっちり分けましょう」、「ヒアリングをしっかりしましょう」と言い続けるのですが、それでもトラブルが起こります。それに対処しようとする人がいないので、私がやるしか仕方がない。また違う案件でトラブルがあると私が入る…。という形で、3年目以降は、トラブル以外の案件をやったことがないという感じになりました。

また、社内全体としても、相変わらず対立が続いていました。さらにここにきて、営業とエンジニアとの間の対立も明確に見えてきました。
営業してとってきた人はお客さんの要望に応えてあげたいですし、エンジニアもそれにもちろん応えたいのですが、できることにも限界があります。営業に「ここまでしかできません」と言うと、営業側からつつかれ、という形で、営業対エンジニアの溝も深まっていきました。営業はエンジニアを信用しないし、エンジニアも営業を信用しない…。社長と幹部との間に壁があり、部署内でも壁があり、営業とエンジニアとの間にも壁があり…。当時、社内は全体的にピリピリした険悪なムードでした。

私自身、精神的に疲弊してくわけですが、嘘で身を固めていきます。例えば親や友だちにも心配をかけないように「いい会社だよ」、「とても楽しくやっているよ」と言い、気にかかっている事については一切相談をしないようにしていました。
また社外の技術仲間にも、自社の状況は特に打ち明けずに、「将来こういう面白いサービスを作っていこう」と明るい言葉ばかりを選んでいたような気がします。祈りにも似たような自分自身の願いを吐露していたのだと思います。
そう言っている後ろ側に、険悪な社内の空気、無関心という現実が張り付いているじゃないですか。本当につらかったですね。

そのような状態が2年ほど続いたのですが、そこまでは何とかごまかせていました。

最悪な状況が続く

6年目に入り、さすがにこの会社にはいれないな、という出来事がありました。

私は長男で、両親が沖縄の石垣島に住んでいます。入社後はよく連絡を入れていましたが、嘘をつくのがつらくなり、連絡もしないし、帰らないという態度を取り続けるようになりました。

しかし、祖母の容体が悪くなり、父親も病気になって手術することになりました。こうなると、さすがに帰らざるを得ません。私はマネージャーに、「申し訳ないですけど、こういう事情があるので、今私が持っている案件を何とかしてくれませんか」と言いました。けれど、その時期が近付いてもなかなか改善される気配もありませんでした。相変わらず、マネージャーは“無関心”だったのです。

私も自己責任でやってしまうものですから、自分自身もなかなか抜け出せず、結局、父親の手術の日も帰れませんでした。祖母がまずいという状況でも帰れない。勇気を出して帰ったときには、祖母は亡くなっていて、葬式会場で会うことになりました。すごく尊敬していた祖母だったので、茫然としました。父親にも大変怒られました。「親が大病したときも帰ってこないで、お前何を考えているんだ」と。父親の気持ちも痛いほどわかりますが、私にはなすすべがなかったのです。

そういう状況があったので、東京に帰ってから、「いつやめようかな」とずっと考えながら仕事を続けていました。でも、「この案件が終わったら、次は状況がよくなるはずだ」と、根拠のない期待を抱き続け、同じことを繰り返していました。どこかで面白いことができるのではないか、と期待していたのです。今考えるとおかしな話ですが、「変わってくれないと困る、起こってくれないと報われない」と願い続けていました。

当時、社員もどんどん辞めていき、悪いことしかない。それでも何故か私は辞めることができませんでした。今思うと不思議ですよね。

期待を抱いてしがみつく中で、会社の状況が好転したかというと、そうではなく、さらにあと一段落ちていきます。

会社乗っ取り事件勃発

実は社長は研修が好きで管理を徹底する形式の研修を社内に持ち込み、仕事の方向性を大きく変えていきました。結局それが招いたのは自転車操業。“質より量”を重視するお客さんを選んだ、ということもあると思うのですが、値下げ競争に巻き込まれました。
クリエイティブな仕事をしたいのに、形が決まっているところに入ってしまったため、モノを安売りするような感覚です。全力で仕事しているのに、幸せになれないという状況になりました。

そこから、今度はまた別の“心”の研修を始めました。社長はマネージャー層をあきらめて、新卒から何とかしていこうと考えたのではないかと思います。それが、あまりにも宗教じみていたため、新卒たちはみんな委縮してしまい、バタバタと辞めていきました。そのころから、「社長が持ってくるものはまずいものだ」という構図が社内には出来上がっていきました。

さらに今度は「営業を立て直そう」ということで、厳しい先生を顧問として招き「ビシバシやるぞ」、「数値目標を立てろ」ということでやり始めました。

当時、社長はあまり登場せず、誰の会社で働いているのか分からない状態でした。顧問に乗っ取られた感じです。

いろいろな取り組みを行う中で、だんだんと私の部署のメンバーもその過酷な取り組みに疲れ果てていきました。ある時、社長と同席のもと面談すると「プライベートも充実させたいけど、この会社ではできない」と、ボロボロ泣きながら訴えるのです。

ついには、社内35人のうち一気に3分の1が辞めようという流れになりました。

さすがに「これはまずい」ということになって、マネージャーの一部が顧問契約を打ち切るという意見で一致し、行動を始めました。これまで、無関心に徹していたマネージャーの一部が無関心から脱却し、団結して反逆を起こしたのです。会社のことを考えて行動した初めての出来事です。

このタイミングで社長も方針を大幅に変え、深く暗い闇からようやく脱出することができました。社長と幹部の対立、部署間の対立、部署内の対立、最後の会社と顧問の対立…と、長らく続いていた対立の構図が、ここにきてようやく終わったのです。

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