ヒーロー達の物語
HISTORY OF HEROES

不安ばかりの暗闇の人生から、
幸福感あふれる人生へと転換

株式会社メディアラボ

代表取締役社長 長島 睦

システム開発を行うメディアラボさんは、長島睦氏のお父様が創業された会社です。長島氏が27歳のとき、お父様が事故で亡くなられたことから、若くして社長に就任されました。それから会社を変えたいと日々奮闘するも上手くいかず、不安ばかりで辛い思いをされたそうです。しかし今は、 “自由で楽しく”という会社のモットーをかかげ、社員の方たちと一緒に心軽やかに楽しく仕事に取り組まれています。さらに、「自分の人生を歩むことができるようになって本当に幸せだ」ともおっしゃっています。不安ばかりの暗闇の人生から、あたたかい光に包まれた幸福感あふれる人生へと、どのように転換されたのでしょうか。

27歳にして社長に就任

私は大学卒業後、大手証券会社に入社し、営業の職に就いていました。26歳のとき、リーマンショックの影響で、メディアラボが大変になってきた状況もあって、社長である父から「うちに入ってくれないか」と言われました。ちょうど、お客様への強引なプッシュが必要なノルマの厳しい仕事が大変苦しく、疑問を感じていたこともあり、転職を決意しました。

入社当時、社内には営業できる人が全くいなかったので、営業を担当することになりました。もちろん証券会社の営業出身なので、営業であればできると感じていました。

少しずつ業務に慣れてきて、これからシステム開発を学びながら、この業界の事ももっと知っていこうと思っていた矢先、入社1年目のことですが、父が自転車の事故で亡くなってしまったのです。あまりにも突然で、全く想像すらしていない事態でした。

病院で泣き崩れる母を見ながら「誰も会社を引っ張らないのであれば、自分が社長をやろう」と思いました。結局、社内では誰も手をあげず、私が社長になることを翌日に決めました。奇しくも私の27歳の誕生日前日に父が亡くなり、誕生日に社長に就任しました。

会社の運営をすることに大変不安を持っていた私は、父の知り合いや事業パートナーの方々に相談をしました。そうしたところ「絶対会社をつぶすことになる」、「企業規模的に無理してやる必要はない」などと言われ、ほぼ全員から反対されました。

とても不安でしたが、父の作った会社を潰してはならない、自分で社長になることを決めたんだと、自分に言い聞かせ、社長としての人生をスタートしました。

当時は、経営も勉強すればどうにかなる、きちんと勉強して、その通りに実践していれば、きっとうまくいくと信じてやみませんでした。読み漁った本の知識から、勉強することは大切だと思っていましたから、多くの研修を受けたりしていました。研修の成果として、会社に良い仕組みをつくり、強い会社にしていったら、みんな幸せになるのではないか、と思っていたのです。そうやっていたところ、たまたまだったのですが、あれよあれよという間に業績が上がり、もともと2億ぐらいだった売り上げが、3年ぐらいで6億ほどになったのです。利益も1億ほど出て「楽勝だな」と思っていました。もともと先代の父が地道に種をまいていた事業が芽を出し、社員一人一人が努力をして実がなったにもかかわらず、自分には経営の才能があるんだな、と大きな勘違いをしていた時期でした。

知識獲得のためセミナーへ

2015年、ワールドユーの会員である山崎文栄堂の山崎社長の紹介で、セミナーを受けるようになりました。

今思うと明確ですが、私は不安から誰かに依存するタイプでした。社会的に権威をもつ方がいれば、その人が言っていることをただただやっていれば、成功すると思い込んでいました。自分の心のままにやることを決める、などということはできませんでした。誰かにぶら下がっていないと、不安で不安で仕方なかったのです。だから山崎社長が、ワールドユーの研修に来られていて「いい」って言っているのだから、いいに決まってるだろう、と思って研修をスタートしました。

研修をし始めたころは、新しくコミュニケーションを学べるということがとても楽しかったのを覚えています。当時はここでコミュニケーションの技術を学べば、人をうまくコントロールできて経営が上手くいくのだと思っていました。でも、会社の業績もまだ良くて、それほど困っていなかったので、学ぶこと自体に意味があり、それで会社を良くしようとかは本当の意味で考えていませんでした。

2年目ぐらいまでは、知識や方法を得に来るという感覚でいました。当時の私にとっては知識や方法というのは、社員を屈服・納得させるためのものでした。セミナーで得た知識を、会社で試したりもしました。そのやり方が上手くいったかどうか、そしてそれをセミナーに来ているメンバーに、どうやって話すかということしか、興味がありませんでした。「前回、こういう風なやり方を教わったので、やってみたら、上手くいきました」という話をして、「自分が出来たんだ」ということを自慢したかったのです。試して周りの人に褒められるために来ているという感じでした。

私は、もともと優等生タイプ。先回りして先回りして、周りよりもちょっと抜きに出ることが一番大事という人生を歩んできましたから…。このような心情で事に当たっていたわけですから、社内でもだんだんと弊害が出てきました。

新会社を設立するも失敗、本業の会社も険悪に

2016年、エステ事業に進出したのですが大きな損失を出してしまいました。一気につけがきた感じです。新しい事業に進出したのは、ある業種に特化した自社商品を作りたかったからです。

その当時、メインだった事業は、病院・医療向けの電子カルテ関連のシステム開発でした。今は一般企業ではクラウドシステムというのは当たり前ですが、病院は未だにクラウドが当たり前ではありません。病気の情報など個人情報を取り扱っているので、外部流出があってはならないからです。

 

でもそれは結局、社内が古い技術で動いているということです。このままでは長期的に会社を継続できないので、クラウドシステムが作れる会社になる必要がある、対応していかないと会社が潰れてしまう、と思っていました。クラウドのシステムに転換するといっても、医療分野には導入は難しい。では似通っている一般企業って何だろうと考えたら、エステだった訳です。

エステ関連のシステム開発について検討するうちに、業界の方から「出店してみたら?」というお話をいただいたこともあって、会社を設立し事業を開始しました。シナジーがあると思い込んでいました。さらに調子にのってやってしまうタイプの私は、一気に多店舗展開してしまいました。

当初、お客さんはついてきたのですが、社員は入れても入れても辞めていく…という事態が続きました。その原因は、私が新会社の社員たちを責め立てていたせいです。あまりにも事業がうまく回らないので、「経営ってこういう風にやってたら、絶対上手くいくはずなのに、なぜ上手くいかない?」、「この仕組みで考えたら、数をどれぐらい売ればいいかなんて目に見えてて、それを売るために全員同じ方向を向いていたら出来るだろ?」、「粗利益を稼げばいいだけなのに、なぜできない?」と。私としては、当たり前のことを言っているという意識だったのですが、今から考えると、明らかに責めていました。

 

その当時、エステ事業だけでなく本業のシステム開発会社でも、私はグチばかり言っていました。焦りもあったのでしょう。まわりの会社の業績がよく見えたのです。どの会社も楽々と収益を上げているように見えて…。何で周りの会社は上手くいっているのに、うちはなぜ出来ないんだ、と。

周りの人が上手くやっているのに、自分だけが「出来ない」というのは自分の中で許されないことでした。今思うと、その劣等感を社員たちのせいにして責め立てる、というのを永遠にやっていました。

当然のことながら、本業の会社の雰囲気も最悪でした。例えば会議は「自分で考えてやってくださいよ!」という言葉から始まり、それがだんだん喧嘩ごしになっていくという打ち合わせでした。「俺は悪くない。悪いのは周りだ!」という趣旨の発言を、参加者全員がそれぞれが言い合うのです。それを社長をはじめ幹部層がやるものだから、若い子達は「どうせ会議やっても、もめるだけでしょ。意味ないですよね。」とか言っていました。

この時はエステの会社とメディアラボの合計で1億円ほどの損失を出すと言う状況で、エステの会社をたたみました。そして会社に対して課題は感じているものの、どうしていいか分からない、とても辛い時期が続きました。せっかくセミナーで学んでいるのに、その学びを活かそうという気もなく、最悪な精神状態でした。この頃は会社に行きたくなくて、ずっと外に出ていました。社長であるにも関わらず、会社に居場所がないと感じていました。本当に苦しくて不安で、毎日身体中に虫がはっている夢で起きているという感じでした。

でも、ようやく転機が訪れたのです。

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