ヒーロー達の物語
HISTORY OF HEROES

私たちには“生き方のバージョンアップ”が必要だったのです。

株式会社山崎文栄堂

代表取締役社長 山崎 登

「会社を潰したくないという思い… 倒産の恐怖の為に必死で仕事をしていました。」
東京・渋谷区にオフィス用品販売会社、山崎文栄堂の山崎登社長は、1995年に同社に入社した当時のことを振り返り、言葉を選ぶように語りました。
高校卒業後、他の企業で働いていた山崎社長は、祖父が1934年に創業した山崎文栄堂に入社した時、会社は4年連続赤字となり、まさに倒産寸前だったのです。

何とかして会社を立て直さなければならない。山崎社長はその一心で、ありとあらゆる最新のマーケティング戦略を投じて、会社の立て直しに奔走しました。やがて倒産の危機にあった山崎文栄堂は、20年で売上が1億円から53億円に増加、顧客数は50社から32,000社に増え、会社の業績は右肩上がりに伸びていきました。

今でこそ、日本一の激戦区と言われる東京渋谷区でシェア39%という圧倒的な安定感を維持する山崎文栄堂の社長として、多くの中小企業経営者がその経営理念に関心を寄せ、手本とするまでになった山崎社長ですが、そこに至る過程は笑顔で過ごせる日々ばかりではなかったと言います。

山崎社長は、会社としての仕組みがない「典型的な家族経営体質」だった山崎文栄堂に、潰れないための仕組みを取り入れ、会社は毎年増収増益を維持していましたが、当時の山崎社長はとにかく必死になって走り続け、自らが最前線で指示を出すことで会社が回っている状態でした。ところがそれが裏目に出てしまい、社員はやらされている感覚しか持てなかったのです。表向き業績は好調で、社員の給与も毎年あがっていったにもかかわらず、離職率は50%を超え、山崎社長自身も仕事中心の生活が原因で家庭の危機に直面し、必死でやっているのに社員、家族ともに心が繋がらないという毎日、暗雲が立ち込める中にいるようでした。

山崎社長は当時のことを次のように振り返っています。「根底にあるのは、1995年の倒産寸前の事態。建物は差し押さえられ、家族の喧嘩が絶えず、親戚も巻き込んだ。この時に絶対に戻りたくなかった。絶対に会社を潰したくない。潰さない為に必死でひたすら走っていました。潰れるかもしれないという恐怖で仕事をしていたのでしょうね。(倒産の)恐怖の為に必死で仕事をしていたのですが、もちろんそんなことは社員にはわかりませんし、伝わりません。家族に対してもそうでした。妻に対してもずっと気を使っていて、どうやったら関係を保てるのかの仕組みを考えました。仕組みがないと、夫婦も成り立たなかった。維持できなかったのです。(妻と)別れるのが怖い、会社を潰したくない。これは私にとって同じだったのでしょう。自分を偽っていたのかもしれません。」

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