ヒーロー達の物語
HISTORY OF HEROES

生き残るために戦う会社から
幸せを拡げ貢献する会社へ

株式会社山崎文栄堂

代表取締役社長 山崎 登

幹部と同志に

研修の一つに、屋久島で幹部や社員たちと一緒に山登りをするというプログラムがあります。私の名前は山崎登なのですが、山を登るのだけは2年間断っていました。「真面目にコツコツやれば成功する」という信念をもっている私にとって、平日に仕事をせず屋久島に行くなんてことはあり得ないことでした。

しかし、勇気を出してある幹部とともに参加しました。生きるために必要なものだけを詰めたリュックを背負い、一本道のトロッコ道を、これまで自分のやってきたこと、見てきたことを振り返りながら黙々と歩きました。途中で雨が降ってきたのですが、その雨が、今までのことを洗い流してくれているようでした。

テントに泊まった翌日は、見事な快晴でした。真っ青な空のもと、輝く太陽の光を浴びながら歩く中、「今までのやり方は全部やめよう」という思いが湧き上がってきました。そして、本当にやりたいことは何だろうと考えました。自然の大地や先祖、日本に生まれたことなど、さまざまなことを考えていると、「私たちは幸せになりたいんだ、そしてその幸せを広めていきたいんだ」という思いに至りました。ようやく仕事をしている意味がみつかり、温かい気持ちになりました。

下山後、幹部に「どんなことを思った?」と聞いたら、彼も「幸せがつながっていくイメージが溢れてきたんですよね」と言うのです。大事なものは幸せだということに、2人で同時に気付き、涙を流しました。それまでは上司と部下の関係だったのですが、ビジョンの実現に向けて一緒に歩いていく同志なんだ、仲間なんだと思えた瞬間でした。 そして、今後、会社をどうしていきたいのか、本音で話し合い、 “幸せな社会を創り、拡げる”を経営ビジョンにすることに決めました。

大きな安心へシフト

研修の一つである内省・内観では、次のようなことに気付きました。 大切な社員も家族も守りたい、でも誰一人守れていない自分がいました。守りたかったのに守れないことが本当に辛かったから、それを封印してあせりで売上げを追い続けるラットレースをしていました。また、いつも他人からの評価を気にし、何か言われるたびに反応して落ち込み不安な状態でした。「不安を解消したい」と思っているのですが、安心しないと不機嫌になり、それを周囲にまき散らし、みんなの不機嫌も生み出していました。

このように私の中には、罪悪感と不安感が充満していたのです。そのことを認めてから、現実を見ることができるようになりました。そして、安心したいからこそ、他人の目は気にせず、もっと大きなもの、高いところにつながれればいいんだ、と思えました。また、「どうせ守るなら、縁のある人すべてを守ると思ったらどうだろう」— そんな風に考えたら、急に誇らしくなり、大きな安心にシフトしていきました。 そこからは、精神的に良い状態、上気元でいられるようになり、発する言葉や態度も変わってきました。社員の話も落ち着いて聞き、話すことができるようになったのです。そうすると、少しずつ会社の雰囲気にも変化が見え始め、本当のことが言い合えるフィールドになっていきました。 このようにして、自分解決で3年間かかりましたが、安心を得て不機嫌な状態がなくなったことが私にとって一番大きかったといえます。

アイデンティテイ・クライシス

私の考え方が完全にシフトされ、また“幸せな社会を創り、拡げる”という経営ビジョンを掲げたころ、ビジョンへの真剣度合いが試される二つの大きな事件・事故が起こりました。

一つは、被害額1億2000万円に及ぶ取り込み詐欺事件です。トナーを大量に仕入れる会社と取り引きしていたのですが、急に購入額が多くなってきていたので「危ないかも」という報告を受けていました。寒空の中、渋谷を歩きながらスマホの画面を確認した時「あちゃー、1000万か」と一瞬思ったのですが、よく見たら0が1つ多かった。頭が真っ白になりました。今後どうなるか分かっていましたので。でも1分後には正気に戻り、速攻で会社に帰って、みんなに指示を出しました。

情報を集めたら、詐欺に間違いないことが分かりました。支払い前の土日に逃げるはずと踏んで、交代で張り込んだのですがもぬけの殻でした。でも、その時、私は不思議と冷静で、不安などはありませんでした。どうあがいても、このような事件が起こってしまったことは変わりません。全部やるべきことが見えていたので、しっかりプランニングし、今できることをしっかりやっていこうと思いました。

月曜日の朝、会社で大変なことが起こったと分かり、泣き崩れる社員もいました。私は、次の3つの方針を発表しました。 1つ目は、深追いすると身の危険があるので、一切追わないこと。 2つ目は、倒産に匹敵する事態が起こってしまったが、必ず復興させること。 3つ目は、社員の心と身体は守ること。 全財産持っていかれたとの同じだけれど、みんながいるじゃないか、ここに命はあるじゃないか。だから、がむしゃらに夜中まで働くのはダメだ。寝る時間をしっかり確保して、きちんと食べて健康を大切にしながら働こう。

このままいくと会社が倒産してしまうことは明らかなので、すぐに経費や人件費削減を含めた再建計画を立ててシュミレーションし、報告書を作成しました。そして、数日後には、取引きのあるすべての銀行の支店長にアポイントを取り、報告しにお伺いしました。それまでA評価だったので銀行側もビックリです。どうなるか分からないという段階で報告してきたということと、事後対策も含めて「こうやって復興します」というのをプレゼンしたので…。当然のことながら借り入れは不能です。それは十分わかっていて「お金はいりません。必ず復興しますので、見ててください」と言い切りました。

報酬を私は半分、幹部は3割減、課長クラスは1割減とし、社員は1年間ボーナスなしということを説明しました。けれども、1000万円のオフィス投資は行うことにしました。未来をつくるためです。8000万円の経常利益を出すことを目標にしましたが、それでも4000万円の赤字です。こうして、できることは全部手を打ち、それに対して幹部たちも素直に受け入れてくれました。 当然のことながらショックを受けて不安に思い、「もう辞めたい」という社員も多くいました。でも幹部たちが一生懸命、丁寧に社員たちに接してくれました。そうしているうちに、みんながだんだん1つになっていくのを感じたんです。ですから1か月たったとき、何にも結果は出ていないのですが、これを続けていれば何とかなる、間違いなく復興すると感じました。

この時、もう1つ問題がありました。税金の問題です。損失となったわけですが,売り上げには計上されていますので,その分の税金は当然支払わなければなりません。しかし,私の熱意が伝わったのか、奇跡が起こりました。「例外的に千に1つもない中で認めます」と担当者が言ってくださり損出が認められたのです。

そして、なんと決算でも奇跡が起こりました。当然、赤字着地は覚悟していたのですが、ふたを開けてみると、経常利益が1億2000万円を超え、最終黒字となったのです。やみくもに頑張ったわけではなく、状態をくずさず、当初の計画通り進めているうちに奇跡が起こりました。銀行もビックリです。かつての「A評価」からどん底の「評価なし(貸付不能)」になっていたのですが、復興したということもあって最高の「S評価」へと事件前よりも上がりました。辞めようと言っていた社員も、この1年間、誰1人として辞めませんでした。

アイデンティテイ・クライシスというのは、こういうこと。私たちはここで試されたのです。「こんなことがあってもビジョンに向かうの?」、「やるんだよね、ほんとだね?」と。 もし、この事件が4年前に起こっていたら、間違いなく会社は崩壊していたでしょう。事件が発覚した時、私は「どうしてこうなった?」、「誰がどの時点でどうしたんだ?」と社員を攻め続け、半狂乱になっていたはずです。

こうして、ようやく社内も落ち着いたころ、今度は私の身の上に、大きな事故が起こりました。ある日、商談の合い間に喫茶店に行った後、どうしたことか通路で足を滑らせ、喫茶店の踊り場にあるショーウインドーに頭から突っ込んでしまったのです。ガラスが粉々に割れ、大変な事態になりました。 救急車で運ばれる中、救急隊員が涙ぐみながら「ごめんね、こんなことしかできなくて…」と言っているのが聞こえます。私は震えが止まらなかったのですが、不思議なことに不安とか恐怖とかは一切なく、光に包まれ「ありがたいなぁ」と感じていました。そして、みんなにまだお礼も言っていないから、ここで死ぬわけにはいかないという一心で、「もし、これで命があるならば、感謝と貢献だけで生きていこう」と考えていました。

救急センターでの対応が素晴らしく、緊急手術は見事に成功しました。そして何と、大手術だったにもかかわらず、4日目に退院することができました。普通では助からなかったとも言われ、今こうしていられるのは奇跡でしかありません。とにかく感謝の気持ちで一杯です。

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