山崎文栄堂さんは、2020年に創業100周年を迎えられる東京・渋谷区のオフィス用品販売会社で、山崎登氏は3代目として26歳の時に社長に就任されました。「会社を潰したくない」という一心で、毎日毎日売り上げを追い続け必死に奔走された結果、20年間、毎年増収増益を続けたのですが、その一方で人はドンドン辞めていくという状況に陥り、真っ暗なトンネルをさまよい続けている感じだったそうです。「これは何か間違っている」と感じ、心の仕組みを学ばれたところ、今では “幸せな社会を創り、拡げる””を経営ビジョンに掲げ、さまざまな社会貢献活動を行い、幸せな日々を送っていらっしゃいます。どのような苦難があり、どのような奇跡が起こったのでしょうか。
真っ暗なトンネルの中をさまよう
私は26歳のとき、3代目として会社を継ぎましたが、当時、4年連続赤字という状況でした。あと2時間で倒産という危機に陥った時、必死で銀行まわりをして何とか倒産を回避しました。それ以降、「絶対、会社をつぶしてはいけない」という言葉が頭の中をグルグル回り、とにかく会社の立て直しに奔走するという毎日を過ごしました。
「ライバルとの競争に勝ち抜けば報われる、幸せになる」と信じていたので、「5年で売上を倍増させる」、「新規開拓日本一を目指す」などといった高い目標を掲げ、お客さまを増やすため、毎日毎日、渋谷中を走り回って必死に営業しました。「まだ、だめだ!」「もっと頑張れ!」と自分自身を鼓舞し、朝4時から夜中まで、がむしゃらに働きました。その結果、毎年、増収増益を重ね、20年間で売上が1億円から53億円に増加、顧客数は50社から32,000社に増えるなど、会社の業績は右肩上がりに伸びていきました。
しかし、この間、社内の雰囲気や人間関係は最悪でした。常にピリピリした状態で、やらされ感、疲弊感があふれ、体調不良となる社員も続出しました。そして気が付けば離職率は一時80%にも上りました。「会社を成長させることがみんなの喜びにつながる」と思い込んでいた私は、売上げも上がり、お給料も上がっているのに、人がドンドン辞めていくのはなぜだろう、とその理由が全く分かりませんでした。好調な業績に反して、私の心は真っ暗なトンネルの中をさまよっているようでした。
今の状況を何とかしなければ
当社はアスクルの正規販売代理店になっているのですが、毎日毎日、次から次へとドア・ツー・ドアの訪問をし、ライバル会社から当社に乗り換えてもらうように頭を下げ、周りの会社の3倍努力しました。その結果、アスクル新規開拓売上げ日本一を達成しました。「やり切った」という安堵を得て、報奨金も手に入りましたが、私をはじめ幹部・社員の誰一人にも笑顔はありませんでした。私のねぎらいの言葉もぎこちなく、勝ったのに不自然な空気が流れました。「いつまでこれは続くのだろう」、「これからさらに頑張らなければならないのか」という思いがみんなの中にあったのだと思います。何かが違うと思いました。売上げがあるのに、ライバルに勝ったのに、幸せになれない。考え方をシフトしなければと思ったのです。
そのような中、インフルエンザで数日休んだ後に出社してきたある社員に、私は「みんなが頑張ってフォローしてくれていたので、もうちょっと感謝したほうがいいよ」とアドバイスしました。そうしたら、彼は「もう、こんな会社辞めてやる!」と理由も言わず去っていきました。
その時、私は唖然としました。気を使って話していたつもりなのに、思いが全く伝わらない、こんな言葉だけで辞めていくのか、と。そして、私は一体どうすればいいのかと、社長をやっているのが嫌になりました。後から知ったことですが、彼は新規開拓やクレーム処理に疲れ果て、心も体もボロボロになっていたそうです。その時、初めて辞めたくなる社員の気持ちが分かりました。頑張って頑張っていろんなことをやって「もう無理だ」と諦めた時に、人は辞めたくなる。私は、やってもやっても報われない状況は、何とかしなければならないと強く思うようになりました。
人生の転機
ある日、105歳まで現役の医師として貢献した日野原先生のお誕生会に招かれ、ワールドユーの代表である仲村恵子さんにお会いしました。「人生楽しんで!幸せに!」という雰囲気に、何か見透かされているような気がして距離を置く自分がいました。
「仕組みづくりや戦略で会社経営を完璧にやっているのに、心の仕組みを学ぶなどという時間はない」という思いと、「やれることはやり尽くし、その結果うまくいかず、八方ふさがりだ」「このままだと、自分も会社もつぶれてしまう」と何かにすがりたい思いが交錯しました。
「自分が変わるしかないな」と思い、気付いたらワールドユーに飛び込んでいました。今考えると、これが人生の転機でした。
ワークを受けるたびに大きな衝撃を受けて、椅子からひっくり返ったり、トイレにこもって号泣したりしていました。自分が社員たちに対してやってきたことが、あまりにも酷かったということが分かったからです。
自分としては正しいことをしていると思っていたのですが、いつも社員たちを責めて追及していたことに気付きました。私の不機嫌な言動は、まるで社員に波動砲を打ちまくっているかのようでした。良かれと思って言っていたことが、全部、相手のプレッシャーになっていました。コミュニケーションの基本もないのに、自分はできていると思っていましたから。
社内の殺伐とした雰囲気も、自分がそのような場を作ってしまっているということが分かりました。「あれもこれも、俺のせいだ」と思い返し、罪悪感と自己嫌悪で頭の中はグワングワン状態でした。
その当時はかなり辛かったですが、原因がわかったから楽になった、という気持ちも何となくありました。ずっと真っ暗なトンネルの中でさまよい続けていたのが、小さな光が見えてきて、この先に道があるのではないか、と思えるようになりました