小林かおりさんは、株式会社山崎文栄堂COHSA事業部でコミュニティマネージャーとして活躍されながら、採用責任者を兼任される、とってもパワフルな女性です。力強く前向きなパワーは、どこから生まれるのでしょうか。入社をされてから今日まで、止まることなく成長と挑戦を続ける28歳の小林さんに、人生のターニングポイントとなった屋久島での大切な体験をお話いただきました。
山崎文栄堂との出逢いと両親の応援
私は静岡県の南伊豆町で生まれ育ちました。実家が小さな民宿をしています。幼い頃から家に知らない人がいるのが当たり前の環境でしたので、人見知りをしない性格に育ちました。両親譲りの外交的な面が私の中に強くあり、大学を卒業したらとにかく東京に出て働きたいと思っていました。
「東京でバリバリ変化のあるところで働きたい!」、「だったら渋谷でしょ!」そう直感のように感じていました。素敵な縁から山崎文栄堂に入社することになり、直感が現実となることに。
私は両親ととても仲が良く、父と母は離れていても心ではとても近くにいるような大切な存在です。山崎文栄堂では内定をすると、どんな田舎でも山崎社長がご挨拶に来て下さる両親訪問があります。両親も初めは驚いていましたが、民宿ということもあり、お客様へのおもてなし精神がありますので、心からお迎えさせていただきました。
山崎社長と両親がその日すぐに意気投合された様子を見て、とても嬉しかったことを覚えています。何よりも、両親が山崎社長と会社の理念や目指す方向性を理解してくれるようになり、私の仕事を応援してくれるようになりました。山崎文栄堂と私の応援団になってくれたのです。
尊敬する社長と専務、安心ができる職場
私が入社した当時、会社はすでに数字や売り上げ重視の考え方を捨て、お客様へどのようにお役立ちができるかに主眼を置いていました。ですから、先輩方から昔の売上至上主義の働き方や厳しかった社内環境について聞くことがあっても、想像ができないというか、私たち以下の世代はそこの過程を実体験として踏んでいません。
山崎社長も若狭専務も、入社間もない頃からこれまで、階層差に関わらず身近にアドバイスをくださる存在です。戸惑いから出口が見えづらいときや課題に向き合う際、若狭専務の「こうしてみたらどう?」という言葉掛けから、とてもポジティブなエネルギーを感じます。必ず自然と良い結果に繋がるのです。高いステージにいらっしゃる方なのにフラットな目線でアドバイスをくださることが、どれだけありがたいことか。恵まれた職場環境に感謝の思いがあります。
ある日の全体朝礼で、コワーキングスペースCOHSAの立ち上げに伴い、メンバー募集がされました。 “働きやすい環境”を協力会社やパートナー企業さんと話し合い創り上げていく役割です。私はチームで何か新しいモノを生み出してみたい、と思っていたので ぐにやりたい!と立候補しました。
コミュニティマネージャーとしての新しい業務は、とても新鮮でした。普段は提案をする、商品を売る、という面で外の方に接することはありますが、全くの外部の方とプロジェクトを進める経験が初めてでしたので。
胸を高鳴らせ挑戦しましたが、思わぬ苦悩に直面することになります。私は会社でチームとして働いていますが、協力会社やパートナー企業との中には、個人で仕事をされている方も勿論いらっしゃるわけです。そこでつまずいてしまいました。
考え方に相違がある場合や、時としてネガティブな意見を伝えなくてはならない場合です。山崎文栄堂では、相手に合わせた伝え方をする習慣や信頼関係があるので、コミュニケーションがスムーズ。しかしこの関係性を築いていない相手へ、決して肯定的とはいえない意見を伝えることが難しく、私にとって苦悩の種でした。
現場に殺伐とした雰囲気や、どこか隠し事があるような空気が漂う時期もあり、『会社のみんなが恋しいなぁ…』そう何度も思うことがありました。
しかし思い返せば、大変なことをひとのせいにしてしまっているだけで、しっかりと自分ごととして捉えていなかったことに気が付きます。自分がCOHSA事業部の事業部長だったら?という視点を本気で持てていなかったのです。自分の状態が良くないことで、場のエネルギー自体を下げてしまっていたとも感じます。COHSAをどんな場所にしたいか、どんな人に集まってほしいか、上司と一緒になって本気で考えたことで、だんだんとCOHSAの場は明るくなっていきました。
山崎文栄堂で身に付いた「信頼・安心・共感」の大切さ、また自分自身がご機嫌であることの大切さを改めて実感した出来事でした。
ワールドユーアカデミーの合宿への憧れが現実に
上司である先輩方がワールドユーアカデミーに通われていることを、とても羨ましく感じていました。私もコースに通いたい!屋久島登山合宿に行ってみたい!という希望を持ち続けていましたが、まだ役職もない私には夢物語かな、そう感じていました。
尊敬する先輩方が晴れやかな顔で合宿から戻られると、一体何があったの?と気になって仕方なく、ワールドユーの合宿は、未知の憧れの世界だったのです。
屋久島合宿に想いを巡らせていた私に、2019年の1月に奇蹟が起きました。若狭専務に呼ばれ「かおり、屋久島行く?」とお声掛けいただいたのです。嬉しくて嬉しくて、すぐに両親に連絡をしてしまいました。入社5年目の冬でした。
出発まで約10か月もあった待つ時間さえ、大切な経験となりました。登山自体が初めての私に、先輩方が登山練習会を企画してくださったり、アドバイスや準備物や心構えなど、まるで自分自身の体験かのように、気に掛け教えてくださる方たちがいたのです。
いよいよ憧れの世界に旅立つことになり、尊敬する先輩方に近づけるようで胸が弾みました。そして屋久島の地で、想像を超える感動と価値観の変化を体験することになります。