ヒーロー達の物語
HISTORY OF HEROES

諦めていたのは仮の自分。
今、晴れやかなビジョンと共に。

株式会社山崎文栄堂

課長 伊藤 平

伊藤平さんは、株式会社山崎文栄堂に2012年に入社後、営業・経理・総務・新卒採用担当・COHSA事業など幅広い業務に携わってきました。昨年30歳という大きな節目の年を迎えられ、うまく本来の力を発揮できていないと感じる葛藤の中で、どのように現状に向き合われ、どのような変化を起こされたのでしょうか。

株式会社山崎文栄堂との衝撃的な出逢い

私は、1989年に静岡県で3人兄弟の末っ子として生まれました。小学校1年生から高校3年生までは一貫してサッカーを楽しむサッカー少年でしたね。大学進学を期に静岡を離れ上京をしましたが、大学時代はやりたいことが見つけられず、時間が流れるままに、ただただ過ごしていました。

これといった何かが見つからないまま就職活動が始まり、流れに乗るように企業説明会へ足を運ぶ中、株式会社山崎文栄堂の説明会に参加をしました。これが運命的とも思えるほど、強烈なインパクトだったのです。

他の企業説明会とは何かが違う。会社の個性が全面に感じられる独自の開催スタイル。社長の山崎は底抜けに明るい方で、社員の方たちも洋々とされている。衝撃的でした。『めちゃくちゃ明るい社長がいるな…』。そう強く印象に残りました。

その後、オフィスに足を運んだ際に目にした光景が、また驚きの連続でした。オフィスの中はピカピカ。様々な工夫を凝らした“業務の見える化“への取り組みがちりばめられていて、その時、これはちょっとすごいと思い『この会社に入りたいな』と思ったのです。

内定選考では、数々のチャレンジが私を待ち受けていました。ある日は先輩社員の営業活動に同行をし、ある日は内定候補の名刺を渡され1週間以内に名刺100枚交換してきて」と外に出されたことも。恐る恐るの挑戦ばかりでしたね。この頃の山崎文栄堂にはまだ、数字や量を大切にする価値観があった時代です。選考工程の内容も軍隊式というか…、気合いを入れて取り組まなければ達成ができない課題が多かったのです。

それでも選考を通して、どこか自身が成長できると感じる部分がありました。だからか、やってみよう!という気になりましたし、ミッションをクリアする度に気持ちが山崎文栄堂に繋がっていく感覚がありました。 “自分はできるはずだ”そう思わせる挑戦を次々に促してくれる社風に心を動かされるようでした。

諦めて自分を殺してしまっていた時間

様々な選考過程を通過し、晴れて株式会社山崎文栄堂の社員となった私でしたが、入社して数年間は苦く辛い思いを味わいました。当初はアスクルの営業を担当していたのですが、半期ごとのABC評価査定で最初の3期に続けてC評価を受けてしまう結果に。成果は他の同期生より出してはいるものの、意欲や強い姿勢を感じられない、そう捉えられる現状に直面しました。

例えば100件の電話営業など、『キツい』と感じる仕事を、私は自分を殺し、気持ちを閉鎖することで成し遂げていました。もともと声を出して自己主張をするタイプではなく、内側で自分を律し適確に物事を進めていく性格ですので、心の中では真剣そのものです。しかしその意志がなかなか外側からは見えないジレンマがありました。葛藤を繰り返すうち、次第にその現状に「諦め」に似た感情を抱くようになります。

そんな私に更なる試練が訪れます。2年目の5月に、経理と新卒採用の責任者を任されることになり、大きな転機を迎えました。業務は新しい内容ばかりである上、何があっても期限を破れないプレッシャーが伴いますので。仕事が終わらず黙々と夜遅くまで働き朝早く出社する生活を繰り返す日々が始まりました。

昼休みは急いでファストフード店へ走り、残った時間で仮眠をとる。夜遅くに帰宅するので食事もままならず、体も顔も痩せこけていきました。当時は会う人会う人に「大丈夫??」と言われるほど、見た目にも疲れていたのでしょう。

次第に体と心が疲労困憊し、防衛機制するようになりました。経理の細かな部分はいかに突っ込まれない様に仕上げるか、採用の業務は前年までの形に忠実に、いかに再現性をもって行なうか。そこばかりに気が回っていたのかもしれません。自分でアイデアを出して改良改善させようという思いが、その頃は全く思い浮かばなかったのです。期限内に業務を滞りなく完了させることに必死でした。 それでも、経理と新卒採用の責任者ということで社長の山崎や専務(当時常務)の若狹の下、仕事をする機会が多く、自分自身の成長や徐々に会社に貢献できていることを感じ始めました。

そのような生活を1年ほど続けていたときに、年に一度開かれる経営計画発表会で、私は社長賞を受賞しました。そして課長に就任することになります。サプライズムービーを流すために、専務の若狹が静岡の実家まで行き、両親に私の頑張りを伝えて下さって。映像の中で喜んでいる両親の姿がありました。温かいご指導の積み重ねで成長させて頂いていることに感謝の気持ちがこみ上げました。 課長になることで、参加できる会議や経営幹部の方と一緒にいる時間が増え、自分の知らない世界を知れることが楽しみでした。

「お客様へどのようにお役立ちができるか」

入社4年目にあたる2015年の9月でした。43期経営計画発表会で山崎よりビジョンの発表があり「新規開拓はしない」という話も出た中で、徐々に会社がシフトしていきます。お客様活動では「シナジー(相乗効果)」という言葉を多く使うようになり、自部門の営業成績を上げるのではなく、お客様に喜んで頂くために事業部を越えた提案を行うようになりました。

徐々に今まで売上を上げるために行っていた厳しいルールを無くすなど、ビジョンから見て意味のないことは辞めていきました。社員の退社時間もずっと早くなっていきましたね。

入社当時は、数字重視の量産型のワークスタイルが強くありました。しかしそうではなく、量よりもお客様に価値を提供することに重きを置く流れになり、私も山崎文栄堂の変化の波に乗る初期メンバーのひとりとなったのです。

ワールドユーとの出会い

入社5年目にさしかかる頃、私はリーダーシップメソッドを学ぶ研修を受講するように勧められ、ワールドユーアカデミーに出逢いました。研修の中でも、「統合ワーク」という内省内観合宿で得た感覚がとても貴重な経験でした。

自分自身を見つめる内省内観の中で、「寂しい」というキーワードが出てきました。 「寂しい気持ちになりたくない」と自分の身を守るために周りの目ばかり気にして、他人の人生を生きているようでした。 物事の判断基準も「目立たないか」「恥ずかしくないか」「誰か悪く思わないか」など、人に嫌われないように、一人にならないようにと選択していたように思います。 その結果、徐々に自分自身の想いや他人を理解することも諦めるようになっていきました。

幼いころに「寂しい」体験をしたことが、制限となっていたことに驚きました。 その時は、「自分は両親から愛されていないのではないか?」という思い込みで寂しさを感じていたのですが、絶対にそんなことは無いと分かります。

愛情を感じたとき、体が軽くなり、温かい気持ちになりました。そして寂しさが愛に変わった時、縛り付けていたものが無くなり軽くなった感覚がありました。

統合ワークを終え、思い込みの鎧が外れると、周囲の方たちからも「なんか変わったね」と言われるようになりました。以前よりもエネルギッシュになり、心に平穏を感じるようになりましたね。

しばらく穏やかな日々を過ごしていました。しかし次第に漠然とした焦燥感が心の奥から湧き上がるようになったのです。「会社にしっかり貢献できているだろうか?」安定の裏にあったのは「成長ができていない」という思いでしょうか。次なる課題として、私は自分の役割や使命を思い悩むようになりました。

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