ヒーロー達の物語
HISTORY OF HEROES

大きなズレがあった社長と
信頼し合う関係に

株式会社ダスキン福山

フード事業部 部長 工藤 由紀夫

工藤由紀夫さんは、ダスキン福山のフード事業部を統括されています。入社されて29年目に入られましたが、部下との関係、そして社長との関係がうまくいかず苦悩された時期もあったそうです。しかし、学ばれていくうちに、部下を思いやる気持ちが芽生え、社長ともコミュニケーションが少しずつ取れるようになって信頼し合う関係になりつつあります。今では社長の“社員は家族””という思いに応えようと、日々邁進なさっています。

中途半端な私を救ってくれた

私と弊社との出会いは、16歳のとき、弊社のミスタードーナツ一号店にアルバイトとして入ったのがきっかけです。当時、私は高校を中退してしまい、アルバイトをしても遅刻や無断欠勤で次々とクビになったりして、何もかもが中途半端な人間でした。そんな時、ミスタードーナツでアルバイトをしていた友人が「正月三が日は時給1000円だぞ」と言うので、その時給に惹かれ、面接を受けて採用されました(普通の時給は520円)。実際に働き始めたのは1月15日だったので、時給1000円は夢に終わりましたが…(笑)。

働き始めたころは、私は以前と変わらず、遅刻や無断欠勤をくり返していました。しかし、他のアルバイト先とは違って、私を指導してくれた副店長は決して「もう来るな」とは言いませんでした。その代わり、店に行くと飲まず食わずで10時間ぐらい働かされることも多々ありましたが、根気よく厳しく指導してくれました。そして、半年ほど経った頃には、朝もちゃんと起きて店に行くという、まともな人間に私はなっていました。こんな自分でも見捨てずに根気よく教えてくれたことと、必要とされているみたいなので頑張ろうかなと思えたことが大きかったですね。その当時のほのかな夢は、ミスタードーナツの店長になること。「なれたらいいな」「なれたらすごいな」ぐらいの感じでしたが…。

二号店オープンの話が持ち上がった頃、指導してくれていた副店長が私を社員に推薦してくれました。当時、私はまだ17歳でしたので、「親を連れて来い」と言われ、社長(現在の会長)と両親、私の四者面談が行われました。後にも先にも保護者同伴の面接は私だけだと思います

会長と私の父が、私の目の前で笑いながらお互いの息子の悪口を1時間ほど話した後、会長が思い出したように私の方を見て「採用!」と言って下さいました。

こうして、私にとってダスキン福山に入ったことが人生の分岐点となりました。「時給1000円」と言ってくれた友人、そして何より、私をまともな人間に教育し、社員にも推薦してくださった副店長には大変感謝しています。

念願の店長時代

こうして17歳で正社員になり、 “夢”だった店長となったわけですが、とにかく忙しかった。作っても作ってもドーナツはなくなっていき、セール中ともなると24時間態勢で作っていました。当時、店をアルバイトに任せるという仕組みはなく、朝6時から夜の11時まで働くこともしばしばでした。

当時はバブル経済の終わりかけで、大量生産・大量消費の時代…。長時間労働も当たり前で、少しの疑問も抱きませんでした。店長には、多くの人材を集める一方で、生産性を極限まで高めることが求められ、それを実践できる人間が生き残っていく、そんな時代だったと思います。

実際、私の同期はみんな次々と辞めていきましたが、私は “店長”という仕事が好きでした。当時、店にはアルバイトさんが50人ほどいましたが、みんなで一緒に目標に向かって進むということがとても楽しく、やりがいを感じていました。そんな店でしたから、アルバイトさんとの仲はとてもよく、プライベートも本当に充実していました。夏にはみんなで河原でバーベキューをしたり、冬になると自宅に20人ぐらい呼んで鍋パーティをしたり…。

知識や技術は特にありませんでしたが、走れば走るだけ結果が出た、そんな時代でした。

苦悩の始まり

私が入ったときは1店舗のみだったミスタードーナツも、徐々に増えていきました。私も店長経験を積んでいくうちに役職がだんだんと上がり、現場から離れ、店長に結果を出してもらうことが主な仕事になりました。そこから、私の苦悩が始まります。

何も実績がない人間が「やれ」って言っても信用がないので、私はまず自分でまずやってみせて成果を出し、それを部下に指示するという方法をとっていました。そのやり方が正しいと信じていたのです。「大丈夫。僕ができたんだから、君にもできる」「だから、やれ」というのが口癖で、私の過去の成功体験を、とにかく部下に強要していました。

しかし、部下は自発的に動いてはくれず、全然うまくいきませんでした。そして段々と、この管理職の仕事に嫌気がさしていき、私の心の中にはいつもある言葉が響いていました。「俺だったら、結果を出せるのに」「俺だったら、もっとこうするのに」…と。私は部下の気持ちも全く考えず、自分のことしか考えない上司になっていました。

また、とにかく結果出すこと、そして日々成長することがいちばん正しいという気持ちが強く、逆にそれができない場合は自分を追い込み、また同じことを部下にも求めてしまっていました。そのこと自体が自分自身を苦しめていることに、この時はまだ気付くことができませんでした。

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