ヒーロー達の物語
HISTORY OF HEROES

孤独な世界から、
強固な信頼関係で希望あふれる世界へ

株式会社ダスキン福山

代表取締役社長 髙橋 良太

ダスキン福山の髙橋良太氏は、2代目社長です。28歳のときに入社され、41歳で社長になられたのですが、「何を言っても伝わらない、わかってもらえない」という孤独感、不安感が続いておられたそうです。最初は奥様との関係修復のため、ワールドユーに来られたのですが、幹部の方も一緒に学ぶことにより、強固な信頼関係が構築でき、会社がそれまでとはまったく別の世界になったとおっしゃっています。どのようなことがあり、そしてどのようにして、信頼関係を築かれていったのでしょうか。

恩返しのため、地元福山に帰る

ダスキン福山は、1964年に父が24歳のときに創業した会社です。
父は高校卒業後、地元の証券会社に勤めていたのですが、当時、東京オリンピックが開催されるなど、時代がどんどん変わっていくのを感じ、「自分も何かしなければ…」という衝動にかられた、と聞いています。

そのようなとき、日経新聞で「大阪のダスキンが貸ぞうきんの事業を始める」という小さな記事を見つけ、即座に大阪に電話を入れて、ダスキン創業者の鈴木清一氏に会いにいったそうです。その鈴木清一氏の人間性に惚れて、加盟店契約を結んだのが当社の始まりです。

私が子どものころ、父は朝早くから会社に行き、家に帰って来るのも遅く、ほとんど顔を合わせることもありませんでしたので父の仕事について概念がないまま育ちました。「お前が会社を継ぐんだぞ」ということも、一度も言われたことがありません。

私は東京で4年間の大学生活を卒業後、すぐにイギリスに語学留学しました。30年ほど前のことでよく行かせてくれたなと、今はとても感謝しています。その頃、自分はこの先どうするのかという事を考える上で漠然と、どうやって自分が社会に役立っていくかを模索している感じでした。

1年半ほどたったころ、東京のダスキンで就職の話がありました。自分を今まで育ててくれたのは、両親が福山でダスキンをやっていたから。だから、この話があったとき恩返しができると思い、「お願いします!」と即座に就職を決めました。

24歳のとき新入社員として入社。2年勤めた後、大阪のダスキン本社・直営店で2年間勤務して、28歳のときに福山に帰ってきました。自分が生まれた福山は自分が活躍してお礼返しをする場所だとずっと思っていましたので、それまでの数年間は“修行中”というイメージでした。残業などを気にしなくてもいい時代で働き放題でしたので、朝早くから遅くまで一生懸命仕事をしていました。

ダスキン福山では、最初「営業企画室 室長」という肩書で、営業でスタートしました。私はずっとダスキンの営業です。ミスタードーナツの店舗を7店舗運営していますがドーナツを作ったことはありません。

他の会社で頑張ったのと同じように必死で働き、仲間と一緒に頑張れると思っていたのですが、社長の息子が会社に入ってくると普通に敬遠しますよね。扱いが違う。私はその事が良く分からず、全力で仕事をするのですが何かと上手くいかない。当時の上司からもきつい扱いを受ける。同僚からは本音で接してもらえない。
いつしか私は一人ぼっちになり、「自分の事はどうせ分かってもらえない!」と思うようになっていました。

数年が過ぎていきましたが、いつも平行線状態でした。会社を良くするために正しい事だと心から思って言っているのに、私が何を言っても伝わらない。相手は理解しようとしない、行動しない。そんな中、「こんなの当たり前じゃないか」「やるべきことはやれよ、何でできないの?」と強い口調で言い続けていました。私自身は一生懸命やっていたつもりだったので、完全に空回りです。

「自分ができる事はみんなできるものだ、できないのはおかしい」というふうに、常に自分が正しいという考えです。それが当たり前だし、ベストだと思っていました。

今から考えると、かなりひどい状態でしたね。まともに対等に話す相手がいないし、教えてもらえない。理不尽に怒られるだけ。知らず知らずのうちに他責の考えになり、「あいつが悪い」とか「おかしいのはそっちだ!」というスタンスが、上手くいかないときの定番状態になっていたようです。古くから当社を支えてくれていた周りの大事な人にもあたっていました。そこが“社長の息子”の悪いところですよね。「お前、なんでそんなこと言うんだ」とだれも言わないのです。自分からは何も見えないし…。裸の王様状態です。
社内には自分の味方は一人もいませんでした。社内での人間関係は、信用・信頼しない、できない関係でしかありませんでした。

そんな状態がずーっと続く中、2006年、41歳のときに社長に就任しました。父は、社長交代の際、完全に引退しました。引退後は、口出しすることは全くありませんでした。今思えばすごい決断だと思います。

私は学ぶのが好きなので、いろんな研修によく参加しました。資金対策はどうするとか、社内でどういう教育の仕組みを入れるとか、研修先で学んだことを一通り取り入れ、見よう見まねで随分と取組みました。でも、それらは社内の“しくみ”を整えるという点ではよかったのですが、社内の人間関係はそれまでと同じ状態で、一生懸命やっているのに理解が求められない、協力が思うように得られないという思いのままでした。

妻との関係に悩み、ワールドユーへ

2015年、ある研修会でお逢いした社長さんにワールドユーを紹介されました。
当時、私は妻とのコミュニケーションも上手くありませんでした。私は34歳のとき、笑顔が素敵な彼女と出会い、9か月で結婚しました。それから15年ほどたち、お互いに仕事や子育てでストレスがたまる時期だったのかもしれませんが、そもそもお互いのコミュニケーションの取り方の違いを分かっていませんでした。
妻はエネルギッシュで、話をするのがとっても好きです。
私が仕事から帰って来た瞬間からずっとひっついてきて、今日あったことや子どものことをしゃべり続けるのです。本人は私が帰ってきて嬉しくて寄ってくるのですが、当時の私にとっては外でエネルギーを使い果たしているので電池切れです…。「話を聞いてくれない、受け入れてくれない、いつもそうだ」という事でケンカになり、そんなことを繰り返していたのです。
平日は仕事で疲れ、休日も家でケンカをし、心休まる日がない状態が続いていたので、「何とかなるんですか!?」と、藁をもすがる思いで、ワールドユーで学ぶことにしました。

学びを続けるうちに、自分の状態や相手のコミュニケーションの特徴を判断できるようになったりするなど、いろいろな気づきをいただきました。そして、それを実践した結果、驚くことに何とかなってしまい、今では妻との関係は極めて良好です。

学びの中で、妻はしゃべることでエネルギーが貯まるタイプ、私は静かにしていることでエネルギーが貯まるタイプという違いもわかったので、それが分かった上で対応できるようになりました。
例えば、妻は「話を聞いてくれない」といつも言っていたのです。私にとっては話がよくわからないし、いつ終わるのかわからないし…ということで、段々聞くこと自体も拒絶し始めていました。

あるとき、学んだことを実践して、“にっこり笑ってずっと聞いてあげる”ということを一度してみたのです。一通りずっと聞いてあげると、妻としては「聞いてくれた」とはじめて理解してくれたのです。
ちょっとしたきっかけで「あっそうか、そうやれば大丈夫なんだ。分かりあえるんだ」ということが分かって、コミュニケーションがうまくとれるようになり、夫婦仲はどんどん元通りよくなりました。

今では、妻に素直に感謝の言葉が伝えられるようになりました。まだまだ「足りない」らしいのですが!(笑) 私が何か不安定な時でも、妻がいることによって、家の中がメチャメチャ明るくなるし…。妻に助けられた人生だな、と心から感謝しています。

妻との関係はこのようにかなり良好になったのですが、会社に関しては、自分的には「ちゃんとできている」って思っていましたから、ワールドユーと結びつけて考えることは不思議とありませんでした。

ヒーロー達の物語一覧を見る >