ヒーロー達の物語
HISTORY OF HEROES

自分と向き合うことで、 数々の試練を乗り越え、また新たな挑戦が始まる

和田食品株式会社

代表取締役社長 和田 博

先代である父親からヴァリアントを継承して2代目社長となった和田博氏は、現在は弟の和田雅英氏に経営を一任し、和田食品株式会社を営んでらっしゃいます。アマチュアのゴルファーとしても大活躍されており、2017年には日本シニアゴルフ選手権で優勝され、史上初の日本タイトル三冠を達成されました。プライベートではこのような華々しい面をお持ちなのですが、ビジネスにおいては人材が辞め続けるという事態に陥るなど、数々の試練があったそうです。どのように乗り越えられてきたのでしょうか。

根っからの勝負師

父親の勧めでゴルフを始めたのは12歳のときでした。「大人の社会を学んでほしい」という親心があったようです。
ただ、そのころから「お前はこの会社を継ぐんだから」と言われ続けていたため、プロゴルファーになろうとかはあまり思わなかったですね。
むしろプロに固執しなかったため、アマチュアとして活躍できてラッキーだったんです。
ゴルフを始めた当時は、今みたいにビデオだとかYoutubeとかはありませんから情報がないんです。
父親から教わるのみでした。
そうすると我流になってしまうわけで、我流では一流にはなれないですよね。

それに気づいたのは25歳ぐらいのとき。私のゴルフは一流の選手の中では通じないとわかったんです。この時大きな出会いがありました。師匠の阪田哲男さんとの出会いでした。

このころから私のゴルフが大きく変わり始めました。当時、阪田さんはナショナルティーム委員長で、選手選考の権限を持っていました。ある試合の帰り道“第一回日本ミッドアマで勝ったらナショナルティームに入れてやるよ”と言われた瞬間にまだ勝ってもいないのに頭の中は“優勝してナショナルティーム入りしている私”がいました。

そして、1996年第一回日本ミッドアマで初めて日本タイトルを獲り、ナショナルティーム入り(1997-2001)、2000年日本アマ、そして今回の日本シニアでも優勝。史上初のアマチュアゴルフ日本タイトル三冠をとることができました。
祝賀会には、かつてゴルフをご一緒したことがある麻生太郎財務大臣も駆けつけてくれました。

5年前に日本シニア優勝を目指すと決め、その目標を達成するための方法を自分の中で構築し、仕事の合間をぬって訓練を重ねました。
タイミングがきたときに、うまく結果に結びつけられるので「強い!」と言われますね。

ただ、2001年に政治的なことが原因で、所属していたナショナルチームから足切りされたんです。
そのとき、ゴルフのモチベーションがダーンと下がり、競技意欲を失ってしまいました。

そして何をやったかというと自動車レースでした。
“鈴鹿1000キロ耐久レースで優勝する“と決め、ドイツから何千万円もする車を購入し、優秀なプロドライバーとメカニックと共に挑戦し、見事優勝しました。
2002年から5年間参加し、金・銀・銅のカップをもらいました。

このように私は、ゴルフをはじめとして、人と勝負している環境が好きなんですね。
でも、今思えば、このことが会社を経営する際、逆に悪い影響を及ぼしてしまいましたね。

父親との葛藤

ゴルフのやりすぎで大学を中退。数字の分析とか、論理的に考えることが好きだったので、専門学校で財務や経理を学んだ後、20歳のときに常務として入社しました。

入社後いきなり、ビデオのレンタルショップのマネージメントを任されました。ビデオがまだ一般家庭に普及し始めたばかりのころです。
幼いころから、父親の意見は“常に絶対”で、逆らうことはできませんでした。そんな環境で育ったので、私としては良いも悪いもなく、「ハイ」というしかなかったですね。

当時の会社は、社長のワンマン経営で、とにかく上から下への一方通行。
古参の幹部たちが「言われた通りにすればいいのだから」と言うので、私は素直に従うしかありませんでした。
社長の指示ですべてが決定するので、会議すらありません。

私は、ワンマン経営から脱却すべきだと思い、いろいろな提案をしたんです。
しかし、意見が採用されることはまったくなく、それどころか「お前は何もしなくていい」と仕事を振られなくなってしまったこともありましたね。
自分が正しいと思うことをすればするほど、「やらなくていい」と拒絶されるんです。

このように父親が私を認めてくれず、軋轢があまりにもひどいので、北海道旅行をしたとき、「会社を辞めて北海道の農園で働こうか」と考えることさえありました。

そんなとき、『侍ジャイアンツ』という野球マンガを読んだんです。
巨人軍に入団した凄腕ピッチャーが、球団に自分を認めてもらうため、いろいろと主張するのですがうまくいきません。
しかし、“自分を認めさせる”というフレームから“自分は巨人を優勝させるんだ”というフレームに変わった時、猛特訓を重ねるようになり、それにつれてチームも一丸となって強くなっていく、というストーリーです。

「あ、これだ!」と思いました。認めてもらうために意見を主張している自分は、まさにこの主人公と同じだ。だとしたら、批判的なことを言うのは一切やめて、父親が納得がいくように行動することが一番のポイントではないか、と考えたのです。
そこから、私の父親に対する関わり方が変化し、関係もほぼ良好になりました。

「引退なんて、全然考えていない」と言っていた父親でしたが、歳をとり今まで自分がやってきた経営とはスピード感も変化し、さらなる勉強も必要な時代になってきたことを肌で感じ、「そろそろかな」と思ったのでしょう。会社創立50周年のタイミングで引退。
2002年、私は新社長になりました。

ここから、新たな苦節の道が始まっていきました。

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