ヒーロー達の物語
HISTORY OF HEROES

学びによって強くなり、
夢に向かって突き進めるように

町田 孝治氏 奥様

町田 和歌

町田和歌さんは、会計事務所を経営されているご主人をサポートされています。一見すると、お名前の通り、おしとやかでホワホワとした感じの印象を受けるのですが、実は思い立ったら行動するというエネルギッシュな方です。ご主人の「助けて」という叫びに応じ、大好きなハーブの世界から会計業界に飛び込まれたのですが、慣れない会社の中で頑張られているうちに、寝込んでしまうほど体調を崩されたそうです。しかし、今は、“見たい世界”に向かって突き進んでいらっしゃいます。どのような経緯があったのでしょうか。

直感で結婚

私の育った環境は、父が会社を経営し、母が経理を担当していました。事務所と自宅を兼ねていたので、いつも両親の働き・関わりを見ていました。仕事上でのもめごとがそのまま家庭にも影響していたので、会社経営を夫婦2人で力を合わせて幸せにやっていくことの難しさを小さい頃から感じていました。

そのため、大きくなるにつれて、結婚するなら、夫婦で会社を経営したりしないこと、そして穏やかな人と笑いあふれる幸せな家庭を、と願っていました。

私は、大学卒業後、最初に入社した会社になじめず、「何か違う」と思いながら働く中で、好きなこと、やりたいこと、転職などを考え、自分自身の生き方を習い事やセミナーなどに参加しながら模索していました。

そのようなとき、たまたま英会話学校でマッチ(※ご主人のこと)と出会いました。逢った瞬間、「この人とは何か縁がありそう…」と直感がはたらきました。彼は「本気で怒ることあるのかな?」と思うくらいに終始穏やかで、まさに理想としていた人だと思い結婚を決意しました。

ですが、彼の仕事である「公認会計士」というのはいくら説明されてもよくわからず、「数字を扱っている、かたそうで楽しくなさそうな仕事」と失礼ながら思っていました。

結婚したとたんに、彼は当初の予定より早く監査法人を辞めてしまい、私と周囲の人たちを驚かせました。当時はサラリーマンを辞めて会計事務所を設立することが将来どういうことになるのかという意味を深く考えず、呑気に1年弱、新婚旅行をしてきました。 戻ってきたときにはかろうじて事務所を開設するための資金だけはありましたが、それ以外の2人の貯金は全部底をついていました。旅行中は、空の青さ、すがすがしい空気、おいしい食べ物、出会う人との会話…すべてが新鮮で楽しすぎました。楽しさのあまり旅行を優先してしまったという計画性のなさに自分でも笑ってしまうのですが、「お金は何とでもなる」と不思議なことに思っていました。

そして、彼は念願の会計事務所を設立しました。特に「手伝ってほしい」とはっきり言われなかったので、私も結婚前に勤めていた日本アロマ環境協会で理事を務めていた方から、「うちで働かない?」と声をかけていただいたので、大好きなハーブの世界で働き始めました。
今でも振り返ると、本当に楽しくてたまらなかった時です。

会社設立後、心配な日々が続く

事務所は、順調にお客様が増えていき、吉祥寺から田町へ移転しました。

時々、彼から「この人どうかな?」と履歴書を渡されました。でも私の意見はあくまでも外部の意見。彼の中でしっくりこない方もいたのでしょう。ですが、やはり一緒に仕事をする社内の人の意見を最優先・重視して入社してもらったものの、後々、その人の行動が周りの社員をこわがらせていたりして大変なことになり、「和歌、こんなことがあるんだけど、何とかしてくれない?」と言われる始末でした。
「困ったときだけ頼りにしてくるなんて、都合が良すぎだよー」と、寂しい気持ちと腹立だしい気持ちがありました。

この頃から少しずつ、彼から「ちょっと働いてみてくれないかな?」とポツンポツンと言われることが多くなりましたが、両親の言い争う光景が昨日のことのように思い出されます。また気持ち的にも、「どうして私が社長の奥さんという理由だけで手伝わなきゃいけないんだろう」「会計事務所で私ができることは何もないから期待にこたえられない」とも思っていました。

のらりくらりとかわしているうちに、やはり私の中で「やっぱりな」と思った両親の離婚が訪れました。「会社経営を夫婦2人でやることは、つまるところ幸せになれない」「せっかくこの人と決めて結婚したのに、両親の二の舞になるかもしれない」という気持ちがぬぐいきれずにいました。また、その断る理由をはっきりと彼に伝えられずにもいました。

会社に入るも、寝込むことに

とうとう、彼から「事務所で働けるときは働いて欲しい」とはっきり言われました。それでも、正直に嫌だと思っている理由を彼に話す勇気はありませんでした。話した後の反応がこわかったからです。

だから、イヤイヤながら重い扉を開けて、会社に入ることにしました。広報として、WEBやパンフ、ロゴなどの作成に一から関われる仕事をし始めました。つくりあげる過程は楽しかったのですが、社員の人が私のことをどう見て、どう思っているかが気になってしまい、仕事が終わればとにかく逃げるようにさっさと帰る状態でした。

これからの私を予測するかのように、前々から母が「社長の奥さんは、憎まれ役に徹しなきゃいけない。社員の人と話すときには、よく考えて話すのよ」と言っていたのを思い出しました。母としては私のことを想ってのアドバイスだったと思います。

ですが、その時の私は、「憎まれ役?そんなの嫌だ。嫌われる存在なんだったら、何にもしゃべらない方がいいし、関わりたくない」と思ったのです。なので、社内ではどうしたらいいのかわかりませんでした。

正解があるなら誰かに教えてほしい、と他力本願的な気持ちを持ち続けていました。
「会社に行きたくない、行きたくないけど社長の奥さんなんだから役目を果たさなくちゃいけないのかも?」「でも嫌だ。憎まれ役なんだから」という言葉がグルグルと回り、答えがみつけられない状態でした。

そのようなとき、まさかの財政危機が訪れました。「社員の人の給料が払えないかも」という危機を伝えられたときには心底ビックリしました。でも彼は、社員をリストラするという考えや話は一切しませんでした。
「なんとかしてこの危機を乗り切るんだ」「社員の人たちを安心させるんだ」と、資金繰りに走り回るその姿勢と行動に、私は尊敬の念を抱きました。「この人はやっぱり社長で、何が何でも社員のことを守ろうとする人なんだな」と思いました。

ですが、その彼の思いとは裏腹に、この会社に未来はないと感じ絶望した社員は自ら去っていきました。私はこのとき、経営者の思いが社員に届いていないことに非常に悲しみを覚えました。

財政危機は乗り越えたものの、会社経営に対する不信感は波紋のように広がり、収束する兆しがありません。公然と代表の悪口が私の耳にも聞こえてきました。彼の背中がどんどん小さく見えました。「これはまずい、会社がヤバイ…」と思いました。

そして、本気で彼をサポートしなくてはいけない、そう思いました。彼は以前のような輝きを失い、設立した当初の“社長の夢応援団””という理念を語るのもやめ、自信すらなくしていました。私もいろいろなことがストレスとなっていたのでしょう。体調を大きく崩し、だいぶ寝込んだりしました。このように、2人ともかなり辛い状況に陥りました。

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