ヒーロー達の物語
HISTORY OF HEROES

「三代目社長に倅を頼むと期待された」 その思いに感動し歩み続けた。 役職を越えて仲間として過ごせるチームへの道。

京橋白木株式会社

常務執行役員 萩原 利之

平成8年8月19日、私が京橋白木株式会社の社員となった日です。
当時35歳の私は、数社の転職を経て京橋白木の社員となりました。

就職するにあたって、重要な価値観は安心して長く働く事です。
子供はいなかったのですが、妻との生活があり転職を繰り返したくない、と言う思いが強くありました。

飲食業界の事はあまり知らなかったけれども、人が生活する上で決してなくならない飲食店がお客様で、配送営業という何となく固定客廻りの安定した仕事のイメージがあり、長く続けられるだろうと勝手に決めつけて会社の門をくぐりました。

当時は私が一番若い社員でした。
皆さんが一所懸命に指導をしてくれたのですが、かなり雑な教え方だったと思います。
道も分からないままに現場に放り出されて、右往左往したことを思い出します。
伝票も見積書も手書きで、年末の繁忙期などは家に持ち帰って書いていたものでした。
そして、何度書き直しをしたことか分かりません。

私は字を書くことが苦手でした。
特に見積書は書く量も多く、少しでも間違えると書き直しが苦痛だったので、個人のワープロ(オアシス)を持ってきて使っていたくらいです。
しかし、周りは年配の方が多かったのでITの風は全く吹かずに、ひたすら手作業で行っていました。
過去の売価は台帳をみて調べ、伝票を書いていました。

その頃思い出すのは、入社3年目くらいだったでしょうか。
当時の上司は私がやってきた仕事を全て否定するような指導方法だったので、毎日がとても辛く憂鬱な日々でした。

朝起きるたびに少しずつ心が重く固くなり、何度も自分に「明るい未来を考えよう、気にしないようにしょう」と言い聞かせても、目の前で否定的な言葉を使う嫌な上司の事が頭から離れません。

今ならリーダーシップの研修に参加して人の違いを学んだりしたので、批判的な言葉の向こうに部下を成長させたいという思いを感じる事が出来るのですが、当時の私には全く理解できませんでした。

そしてある日私の中で、繋ぎとめていた糸が切れるように「もうこの上司の下では続けていけない・・・」と決断しました。

家に帰ってから、妻に自分の決断を報告した時に、自分が情けないと言う気持ちからでしょうか、涙を流しながら「申し訳ないが、会社は退職するので暫く我慢してくれ」と話していました。
辞めたくて辞めるわけではないのです。
この辛い現実を抜け出す選択肢が、他になかったのです。

妻からは「そんなに辛いのならば、他の会社で活躍の場を探したら」と言ってもらえました。
どんな時も私を信じて応援してくれる妻に、申し訳ない気持ちと感謝と涙しかありませんでした。

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