ヒーロー達の物語
HISTORY OF HEROES

「ずっとうまくいく企業なんてそんなにないんじゃないかな?どんな環境になっても一緒にやれるチームをつくりたい。社長としてそういう人を育てるきっかけを作って行きたい。」

株式会社TD・K

代表 橋本 玲子

「気持ち的に楽になりたいよね」と言う優しい笑顔で言ってくれた大切な友人の一言と、彼女のいつも輝いた笑顔の根源はどこにあるんだろうと興味を持った事がきっかけでワールドユーアカデミーの研修を受けるようになったと言う株式会社TD・K(旧:光青工業株式会社)代表、橋本玲子氏。

丁度それは特にプライベートで悩みを抱えていた時期で、いつも玲子さんの心の中で同じ何かがグルグルと回っていたといいます。その当時、仕事に関しても直面する問題などは一つ一つ自分の中で策を打ってなんとか手掛けてきたので自分自身では悩みだと捉えた事はなかったものの、難しい顔をしていたと周りに言われていたといいます。

玲子さんは高度成長期の時代に父親が創業した光青工業株式会社を10年前に継ぎました。高度成長期当時は500人程の社員を持ち、業界では日本で3本の指に入る企業へと成長を遂げたものの、次第に時代は平成へとうつり成熟しきった会社の経営は足踏み状態から下降していきました。まさに平成最初の20年間は、起こるであろう時代の変化に何も手を打ってこなかった企業なので、父が亡くなる寸前に「これじゃいかん、前社長からお前が変われ」と言う事で経営を変わったという。

「これじゃいかん。お前が変われ」と急に託された父の会社。

創業者である玲子さんの父親の時代はまだ女性が自分の為に意見を言う事や女性が会社を継ぐ事など珍しい時代で、玲子さんは自分の為に自由な意見を言える抑制されない世界へ生きたいと常に思っていたと言います。しかし父親が会社を立派に作り上げる過程での苦労を全て見てきたこともあり、「父が元気なうちに会社が無くなる事だけは避けたかった」と言う一心で何一つ経験のない業界へ入る事を決意したのでした。

経営を引き継いで間もない頃は計算書の0が多すぎて数字を読む事も困難で、当時息子を持つ母子家庭だった彼女は財布にお札が入っていなかった時代もあると当時を振り返ります。会社の空白の20年間を経てからの引き継ぎは想像以上に大変だったそうで、当時、会社には多大な借金があり毎月4000万返済が必要な事や、会社の4つの営業所は全て異なった経理システムが存在する事などを社長になってはじめて知ったと言います。

父の為にと全く経験のない業界へ飛び込んだものの待ち受けていた現実は甘くなかった。

このままではいけないと思ったものの、「その当時、自分にできることはまずは自分が新しい社長だと対外的に知ってもらうことで、ありとあらゆる会合に参加をして顔を覚えてもらう事に精を出しました。職種的にも女性の経営者が珍しいこともあり、当時は「女で何も知らない社長。あの会社は大丈夫か」と噂が蔓延していたと言いますが、新任して3ヶ月がすぎたあたりから噂をしていた人たちに「お前に交代してよかった」と言ってもらっていたということも1年以上経ってから聞いたという。この業界で自分の地位をゆっくりと築きあげてきたように見えた矢先でした。

玲子さんは社内である事に気づきます。

「当時、社員はみんな下を向いていて笑顔がなかった。社長が変わったとかいうことではなく、ちゃんと理由があるはずだ。それを変えたくて、みんなが何を思っているのか社内アンケートをとりました。返ってきた答えは、仕事や会社そのものに対して『こんなことしてなんの役に立つのか』という声でした。」

アンケートに答えてくれた社員の心の声は彼女に重い責任としてのしかかったと言います。「彼らを笑顔にしたい。」

しかし新しい社長として努力の甲斐あって他の会社にも徐々に認めてもらえるようになっても思い通りにならないことはたくさんあって、「なんで伝わらない、あの人はわかってくれない」などと思い通りにならない理想と現実の間で苦しい思いをしました。

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