ヒーロー達の物語
HISTORY OF HEROES

不安感がなくなり、「いいことしか起こらない」という考えに

タカラ印刷株式会社

常務取締役 林 善克

タカラ印刷さんは創業63年の会社で、現在は林善克氏のお父さまが社長をされています。善克氏が大学3年生のときに、「会社を継いでもらいたい」と言われ、1週間悩みに悩んだ結果、継ぐことを決意されました。社会人経験を5年間積んだ後、タカラ印刷さんに入社されたのですが、継ぐと決めてから、不安な日々が長く続いたそうです。しかし、今では、「いいことしか起きないだろうな」という風にしか考えられないとおっしゃっています。

1週間寝ずに悩み、跡を継ぐことを決意

私は、高校時代からバンドのボーカルをしていて、土日には福島駅前で、一人で弾き語りをするなどしていました。

高校卒業後はとにかく家を出たかったので、埼玉県の大学に進学。バンドを続けていたし,仲間もたくさんできたので,福島に戻るつもりは自分の中にはありませんでした。

しかし、大学3年生の冬休みに実家に帰ったとき、父から「ちょっと話がある」と言われ、そこで初めて「会社を継いでもらいたい」と言われました。衝撃的でしたね。

それまで、父から、真剣にそのようなことを言われたことはなかったんです。小学生のときにスキーに行ったとき、リフトの上で軽い感じで「継いだら?」と言われたことはありましたが、それからは一切なかったので…。

ただ、父方の祖母(先代社長)である”おばあさん“からは、私が小さいころから、ことあるごとに「あなたが跡を継ぐんですよ」と言われていました。

でも、いざ継ぐと考えたとき、いろいろなことが頭に浮かんできて、眠れなくなってしまいました。

これまで、遊び倒して好きなことしかしてこなかったから、こんなろくな生き方をしてこなかった自分が、事業を継いでもいいのだろうか?

しかも継ぐとなると、そこで働いている方と、その家族の方たちを守っていかなければならない。もし、うまくいかなかったら、どうするんだ?

「どうしよう、どうしよう」

「でも、おばあさんとかの願いもかなえてあげたい」

1週間、悩みに悩んだ結果、「継ぎます」と返事をしました。

継ぐことを決意したのは、次のようなことからです。

私は大学時代、遊んでばかりいて、楽器にも結構お金がかかっていたので、支払いが滞って、アパートの電気が止まったり、ガスが止まったりしたことがあったんです。

 そのことを考えたとき、私が生まれてから高校を卒業するまで,スイッチ1つポチンとやれば電気がつく、蛇口をひねれば水が出る、という生活がごく当たり前に担保されていた、ということに気付いたんです。そして、これは当たり前のことではなく、感謝すべきことなんだと思いました。

それも、うちの家族だけでなく、さらに社員やその家族をタカラ印刷という事業を通して守ってきたわけです。

ここで、私が「継ぎません」と言ったら、その事業が続かなくなる。とすると、今までずっと守ってきた生活がままならなくなってしまう。

そのことを一週間考え続けて、「跡を継ごう」という決断を下しました。

継ぐと決めましたが、ストレートでタカラ印刷に入るのだけは避けたい、どこかほかの会社で経験してから入りたい、と思っていました。父も同じように思っていたようで、ここで意見が初めて合致しました。

そして、東京に本社がある総合印刷会社に、工場勤務3年、営業2年の計5年間、お世話になるという条件で入社しました。私はここで、社会人としての糧となる大変貴重な体験をさせていただきました。

苦しさと楽しさを経験した修業時代

最初の配属は、静岡県御殿場市にある印刷工場でした。

工場は24時間稼働しているので、日勤・夜勤があって、いずれも「8時から8時まで」

と残業が必ずあるという状態でした。

私が3年間だけ工場勤務をすることをみんな知っているので、工場の人から見たら完全に部外者ですよね。「すぐ辞めるような人に、教えてやれるかよ」という雰囲気があって…。 

完全に孤立して、誰も認めてくれない、機械の使い方も教えてもらえないから、ずっとできないまま…というかなり辛い時期を数か月過ごしました。

何十メーターもある機械を2人で回すのですが、最初は紙を印刷機械にきれいに通すということもできないので、怒鳴られることもしばしばありました。

でも、「どうしたら認めてもらえるんだろう」「いつか見返してやりたい」といつも考えていました。

そして、よく休日出勤があったんですけど、そういうのを「やります、全部やります」と言って、人が嫌がることを率先してやるようにしていったら、だんだん風当たりがよくなってきたんです。

「やってくれるんだったら」ということで教えてもらえるし…。

入社して1年半ぐらいたったとき、大きな転機が訪れました。

東京本社でオペレーターをしていた人が転勤で工場に来たんです。その人がメチャクチャ陽気なおじさんで…。

そして、「お前、そんなに機械のこと覚えたいんだったら、昼休みの時間をあげるから、色の出し方とか見当の合わせ方とか好きに練習していいよ」「何かミスったら、俺が責任とるから」って言って、機械を1つ預けてくれたんです。

ものすごく嬉しかったですね。

さわりだけ教えてもらったんですが、教え方も上手で、ものすごくのせてきてくれる。

「もう、そんなのできるようになったの?すごいな」みたいなことをずっと言ってきてくれて。認めてくれることが嬉しくて、私も練習に没頭しました。

お昼のチャイムが鳴ると10分ぐらいでガーッとご飯を食べて、45分間練習する、というのを3か月ぐらい続けて、印刷機を一通り動かすことができるようになりました。すると、そのことで、周りからも評価されるようになりました。

「教えてやれるか」と言っていた人も、「昼の45分間を使って練習して、あいつすごいじゃないか」という風に目が変わってきて…。最終的にはみんなと仲良くなることができました。

このように、工場勤務は最初はきつかったんですが、とてもよい経験をしました。

「最初は後ろを向いている人も、しつこく行けばこっちを向いてくれるんだ」と、人間関係を構築するすべを学べました。

3年後、工場勤務が終わり東京本社勤務となり、営業生活が始まりました。本社の方々は、みんな最初からウェルカム状態でした。野球やフットサルのチームにも誘われ、いろいろな部署の人たちとすぐに親しくなりました。

また、仕事自体もすごく楽しかった。CDのジャケットとかをメインで印刷している会社だったので、打ち合わせをしていると、あこがれのミュージシャンが目の前にいる、自分の大好きなアーティストのジャケットを自分が刷る、という夢のようなことも多々ありました。

苦しいこと、楽しいこと、日勤夜勤の辛さなど様々なことを経験できた密度の濃い5年間でした。

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