社長との関係が良好に
登山研修後、ワールドユーの研修に通い始めることになりました。学び始めた当初は、とにかく怪しく感じられ、トレーナーが話す言葉もすぐに理解できず、いちいち「はあ?」という感じでした。
でも学んでいくうちに、徐々に心を動かされるようになりました。私は “言葉”がもともと好きなので、例えば「自分にかける質問の質によって人生が変わる」という言葉を聞いた時、「これはすごい!」と思いました。寝るとき「〇〇さん、あんなことして、いやだったな」と考えながら寝るんじゃなくて、「今日、『ありがとう』と言いたい人はだれでしょう?」と自分に質問し、「●●さん、コーヒー出してくれたな。ありがとう」と思って寝るだけで、睡眠の質が変わり、人生も良くなると。
また、「“今”“ “ここ”が大切」という言葉も好きです。戻れない過去にとらわれたり、起こる可能性のない未来におびえたりしても仕方がない、今この瞬間にフォーカスして行動していくことが大切だという意味です。その言葉が心に浸透してからは、より、“今”に集中するようになりました。
今までの学びの中で最も衝撃を受けたのは、フランクルという心理学者の「人は生きる意味を問う存在ではなく、神に問われている存在だ」という言葉です。私は「何のために生まれてきたのか?」「何を成すのか?」とよく考えていましたが、その考え自体が間違っていることに気付きました。そして、今、私の周りに起こっていることが、問われているとすれば、真摯にその問いに向き合って行動し、答え続けることしかできないという考えに至りました。この言葉は、私の胸に深く刻まれ、常に行動の指標になっています。
私には、一つ言葉をもらったら、それについて深く考えるという癖があります。それは疑い深いからです。そしてその言葉が、現実のこととはまったら、しっかり心の中に入っていきます。このように心動かされる学びがたくさんあり、だんだん研修に真剣に取り組むようになっていきました。それからは、毎回、驚きの連続です。
そして、半年、1年と研修が進んだ時、「私は社長に愛されているな」と感じたのです。私は決算など会社の数字も見るので、この研修の費用や交通費などどれだけかかっているのか分かります。一方、この研修自体、すぐに成果を生み出す研修ではないですよね。それを考えた時、「社長は、僕を、僕の家族も含めて幸せにしたいんだな」というふうに思ったのです。その時に初めて「すごいな」と感じ、本気で社長と向き合おうと思うようになりました。
- 「本気で社長と向き合おう!関係が変わり始めた。」
例えば、社長は感情が高ぶると、「こうやって、こうやって、こうやってね」「何で、できてないんだ」などとワーッと弾丸のように話すことがありました。そういう時、私は火に油を注いではならないと思い、「はい」と言って黙っていたんです。でも、社長は私が分かっているか分かっていないか見たら分かるので、私が腑に落ちていないと、さらに発火し、違う説明をワーッ投げかけてくる。それが、また私の心に突き刺さる…。
こんなことがずっと続いていたのですが、本気で向き合うと決めてからは、自分の意見がきちんと言えるようになりました。社長の言い方で傷ついた場合には、「その言い方、傷つきます。今、すごく嫌な気持ちになっていますよ」とハッキリ言います。そうすると、社長も「すまん、すまん」「今ちょっと間違えてた」と素直に謝ってくれます。
このような感じで、対立してもすぐに修復できるという感覚がお互いにあるので、安心して話せる関係になってきました。このことは、仕事をスムーズにこなすためにも大きかったです。
統合ワークで得た大きなもの
学びの中で統合ワークという、自分自身と向き合う研修があるのですが、これを通して、私の今後の人生にとって大きなものを得ました。
- 「屋久島で自分自身と本気で向き合う。」
私はもともと成長欲求がすごく強く、だれかに勝つことが大事で、昨日より今日の自分の方がよくあるべきだと常に思っていました。統合ワークのとき、「何でそんなに成長したいのか」と自分自身に問い続けたところ、“寂しい”というワードが出ました。すると、トレーナーから「何が寂しいのか言葉にして」と言われたのですが、寂しいのは寂しいだけなので、「寂しいに寂しい以上のことはないですよ」と言ったのです。そしたら、「そうじゃなくて、寂しいは何なのか説明して」と問い詰められました。
仕方がないので、3時間ほどずっと考えたのですが、その日は結局出なくって、次の日に心を落ち着かせて自分自身に再度問いかけてみると、“大切な者と繋がれない”というワードがフワッと出てきたんです。同時に、幼少時の情景が鮮明に浮かび上がってきました。参観日や運動会、部活の試合に、父親が来てくれなかったという情景です。私は今は運動好きなのですが、当時はすごく運動音痴で、走ってもダメ、部活でも万年補欠と、何やってもダメだったから、私は子どもながらに「僕がダメだから、見に来てくれないんだな」と思っていたのです。そこから、“成長しないと、評価されない、認めてもらえない”、“成長しないと、大切な者との繋がることができない”という私の価値信念ができ上がっていたわけです。
社会人になってもその価値信念は変わらず、「結果がすべてで、1番じゃないと誰も認めてくれない」といつも自分を追い込むようになっていました。他の人からは、エネルギッシュとかチャレンジ精神があると言われますが、私の心の中は、成長しないと大切な者と繋がれない、という恐怖といつも戦っていました。
そのことと過去とがつながった時、私自身子どもが2人いるのですが、子どもたちが生まれた時、ただそこに生存するだけで愛おしい、その子が成長しようが成長しまいが関係ない、というのが心の中にあったことに思い至りました。
そして、私が子どもの頃、父は鉄工所でずっと三交代で働いていて、夜勤があったり朝早く出たりし、いつもススだらけで帰って来ていたことを思い出しました。だから、運動会に行きたくても、忙しくて行けなかったという事情があったのかもしれません。そういう風に考えていると、「そうか、アピールして成長しなくても、そのままの俺自身も認めてもらえていたんだ」という考えに至りました。
そこからさらに、「たとえ私がやらなくても、同じことを他の人がやってくれたら、それはそれで自分自身の幸せみたいな感覚になる」という考え方の変化が起きました。それまでは部下に仕事を任せるのが得意でなく、何でも自分でやってしまっていたのです。そのことに気付いてからは、少しずつ人に仕事を任せ、部下の成果をともに喜ぶことができるように変化してきているところです。幼少期の些細な思い違いが、私を長くしばり続けていたとは、本当に驚きでした。
社長を信じる!
今年の8月、社長とともにカナダ研修に参加しました。カナディアンロッキーの大自然の中で、日本とはレベルが全く違う雄大な景色を見て、胸が震えるほど大きな感動を得ました。また、そのものすごいエネルギーも感じました。そのような感動とともに、貴重な体験もさせていただきました。
- 「魂が震えるカナディアンロッキーの大きな体験。」
これまで登山研修といえば会社のチームで行っていたのですが、今回はいろいろな会社の人たちが集まったチームで、一つの目標に向かって進んでいくわけです。高い山が初めての人や、足をくじいていて上っていくのもやっとという人がいる中で、どうやったらみんなで上っていけるかをチームで一生懸命考えて、役割分担を決めます。そうして登山中、それぞれがきちんと役割をこなし、全員が頂上に登り切ることができました。頂上に着いたとたん、達成感一杯になり、みんなで抱き合って喜びました。感動のあまり、この私も泣いてしまいました。
- 「仲間と共に達成した最高のチームビルディング」
その中で、いちばん感じたのは、頂上に登るという目標を達成したことよりも、そこに向かう途中で得られるものが多かったということ。やると決めた最初の一歩をスタートした時から、いろいろなギフトをもらえているのです。「困っている人はいないかな」と思う感覚とか、困っていたら手を差しのべる行動力とかというように、仲間の状態を自然に感じながら、それぞれが今の自分の役割に気付き、自分から行動しフォローし合う。こうして、多くの言葉はなくても、最高なチームになっていく感覚を体験することができました。
この体験を一緒に味わう中で、そこから社長の言動に耳を傾け、また私自身も伝えたいと思うようになってきました。そして何より、私をこの研修に参加させてくれたことが、社長を信じてもよい、信じるべきだ、という確証となりました。
私を本気で幸せにしたいと真剣に考えてくれている…まるで家族のようにです。かつて会長が言われた「社員は家族」という言葉を実践してくれたのです。私は「幸せだな」「ありがたいな」と感じ、そしてそれに応えたいと強く思い邁進しているところです。
- 「家族のようなチームを社長と共に。」